『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』ネタバレビュー

ワンピース(原作)ファンの、身内はおっしゃいました。


ワンピースの肝は、「爽快感」だと。


ルフィが敵をブッ飛ばし、事件解決。
ワンピ特有の、憎むべき「悪役」を倒して戦闘終了。
で、その後宴があって、別れ=出航。
これが、ワンピースという作品における一編の流れです。


似たことは、細田守監督もパンフレットのインタビューでおっしゃってました。

ルフィというキャラクター自体も、気持ちが高まらないと敵を殴れないという感じがありますよね。だからためてためて、一発殴ったときの開放感があると思うんです。

同意。
しかし。
自分だけでしょうか。


ルフィが男爵を殴った瞬間、まったく「爽快感」を覚えなかったのは。


それが、一番大きな疑問です。
他にも、
「ロビンが行方不明になった時、サンジくんがナミをも責めていた。そんなことするはずないだろう!(マジ怒)」
「ルフィが《チョビヒゲ海賊団》のブリーフに保護された後、男爵と決戦、一回敗北。その後また保護され、再び決戦……という流れが冗長で単調」
「リリーカーネーションにとり憑かれた男爵のデザインが、どう見ても尾田栄一郎先生のそれじゃない」
「何しに出てきた、《お茶の間海賊団》の父とデイジー以外」
「要するに、ルフィが弱い」
「『今度の映画には笑いが〜』というキャッチコピーは、全部ウソです。JAROに提訴していいですか」
「男爵の声が大塚明夫さんで、武器が弓矢でしかも空からいっぱい降らせるって、それ『OVAジャイアントロボ』の花栄さんじゃん!」
「リリーカーネーションのCVが渡辺美佐さん? ビビじゃん!」
氣志團のエンディングテーマは、絶対作品と合ってないよね」
「そしてボーカルの綾小路翔の演技の違和感のなさ。てか、コテツって誰だか覚えてなかったよ」
などなどありますが。(←長いよ!)


ならば何故、「爽快感」が起こらなかったか。
ワンピースらしさはどこに行ってしまったのか。


……でも一緒に見に行ったお二人は、楽しめたそうなんですよね。(笑)
鑑賞後、「えー」とつぶやいたのは自分だけらしい。
ちたせいさん曰く、「『Gガンダム』を見たファーストガンダム世代がそんな感じでは」と。
ああ……そうか。やっとわかったよ。平成ガンダムから入った自分には、理解できなかった気持ちが。


でも。まぁ。それはそれで。
思った以上は、その理由をつらつら書いていこうと思います。



まず話さねばならないのは、ワンピースにおける「悪役」について。
和月伸宏先生*1曰く、少年漫画の相手キャラには「悪役」と「敵役」がいるそうです。
前者が「どーしょーもなく救いようのない悪」で、後者が「悪を行うに足る理由を持った敵」。
どれみで例えるなら、前者が桜木で、後者が先々代女王です。(笑)
そして、尾田先生は「悪役」を創るのが上手い、ともおっしゃってました。


これは、ただ単に悪い奴を創ってるってことじゃありません。
悪い奴だけど、妙に慕われたり(例:残虐だけど、死んだと勘違いして悲しむ船員だらけだったバギー)。
何故か愛嬌があったり(例:恐怖政治を行うけど、色んな意味でカバだったワポル)。
結局は洒落じゃんなキャラだったり(例:我は神なり=我は雷なエネル)、と個性だらけです。
そして全てにおいて共通しているのが、「腹にくくった一本の槍」=「信念」を持っているということ。
他の漫画の言葉を借りますが、「善でも悪でも、最後まで貫き通せた信念に、偽りなどは何一つない」*2。このテーゼがぴったりです。


時々、ワンピースは敵がちゃんと死なない、死を描かないからつまらない、という意見を聞きます。
以下の原作者の言葉を十回くらい復唱してください。(笑)

なぜ殺さないか。この時代、人々は自分の信念に
命を賭け、戦っています。ルフィは戦闘において
敵の信念をくだいているのです。
敵にとって信念をくだかれる事、敗北する事は、
死ぬ事に等しい痛みを受ける事となるわけです。
殺す殺さないは二の次で、勝つ事、負ける事とは
彼ら海賊にとってそういう事なのだと僕は思います。


(『ONE PIECE』4巻SBS*3、P90より)

ここまで説明すればわかるでしょう。
《オマツリ男爵》ことレッドアローが、ルフィと相対すべき"海賊"であったかどうかは。



さて。
先に述べたように、小説版のほうの同作をさらっと読んでみたんですが。
……映画見た時の疑問のほとんどが氷解しましたよ。
小説版における、映画との違いを列挙していきますね。

  1. サンジくんが最初の試練で海に落ちてない(溺れるチョッパーらを助けには入った)
  2. 《お茶の間海賊団》の長兄リックも父親に反抗して家出、《チョビヒゲ海賊団》のブリーフと行動を共に
  3. 仲間割れの決定的な原因が、リリーカーネーションの造った偽者のルフィにあった
  4. お茶の間海賊団の母の死因は、リリーカーネーションに食べられたことと明確に語られる
  5. ブリーフとルフィの会話で、男爵の過去が明確に語られる
  6. 男爵の口から、ここが「オマツリ島」と呼ばれる由縁が語られる

1.はどうでもいいです。(笑)


2.は、リックが空気キャラから脱したことを意味します。
その分、姉のローザが空気になり、さらには妹のデイジーの超聴力が語られず終いになりましたが。
しかし、父親の情けなさに反抗したものの、逃げただけだったリックを一喝したルフィはカッコ良かった。

「海賊旗(ジョリーロジャー)は、遊びで掲げてるんじゃネェ……仲間との、誓いの証だ!」
「仲間を放り出して、陰口をいうようなやつに海賊旗を掲げる資格はねェ……! 仲間なら……大切なら、自分で守ってみせろ! それが家族なら、なおさらだ!」

それでこそルフィです。


3.には、一番驚かされました。
本作ではナミ、ウソップ、ゾロ、サンジが仲違いしたまま禍根を残すという、実にらしくない展開になるのですが、映画ではそのはっきりした原因は描かれてなかった。
そりゃそうでしょう。ちょっとしたいさかいをグジグジ引きずるような奴が、ルフィの船員をやってられるわけがありません。(笑)
……自分としては、リリーカーネーションに人の心を乱す効果でもあったんじゃないかと思ってたんですが、そういう話もまるでなく。単に、男爵の部下に煽られて仲間割れしただけみたいです。
情けない。
で、その違和感を解決してくれたのが、この「偽者ルフィ」の存在。
偽ルフィが仲間の悪口を言います。いつもなら、「ルフィはそんなこと言わない」とすぐ気づくところを、ギスギスしていたせいもあって見過ごしてしまう。その後ピンチに陥ったところで、彼らはきちんと悔いているのです。
ルフィはそんな奴じゃない、と。
こういうのを〝仲間〟って言うんですよ?


4.。《お茶の間海賊団》の船長・パパ*4は、男爵同様かなり海賊らしくない言動が見受けられました。
チョッパーを助けようとする我が子たちを引き剥がし、自分たちを助けようとしたチョッパーを見殺しにするのです。
……これだけなら、実はそんなに悪くなかったような気がするのです。
問題は、この時のパパの表情が、「諦め切った」ものだったこと。
そんな表情のできる人間が、〝海賊〟に以下略。
ここでもし、ワンピでよくあるような「鼻水も一緒に流すくらい、目元を拳で抱えながら号泣」する表情だったら、まだわかるんです。
で、その後、ン週くらいかけて過去編が語られ、その行動の謎が明かされるわけですから。
鑑賞をご一緒したけんしんさん曰く、ブリーフにしろパパにしろデイジーにしろ、原作における過去編が何週も描けるほどの背景があるんじゃないか。と、分析されてましたが大当たりのようです。
果たして小説版においては、母親が死ぬ間際「子供たちを頼む」とパパに頼んだと語られ、それ故にパパは子供たちを助けようとしたと、はっきりくっきりわかるわけです。
さすれば、パパがリリーカーネーションに止めを刺したというMVP的活躍も、説得力が全然違ってきますよね。


5.。ブリーフさん物知りですね。てか、カッコ良さが映画に比べて1.5倍増しになってる気がします。(笑)
「男爵は数十年前、大切な仲間を嵐に奪われた」までは映画でも語られましたが。
その後、リリーカーネーションに出会い、誘惑に負け仲間たちの(仮初の)復活を望んだ。だからその生贄にするために、海賊をおびき寄せていた、と。
ブリーフの仲間が犠牲になったことも語られ、その際男爵がこう叫んだという。
「おまえらのような仲間ごっこを見ていると、こみ上げるこの怒りはなんだ。切り刻みたくなるこの怒りはなんだ。おまえらには、おれと同じ思いを味わわせてやる」と。
それを聞いたルフィは、吐き捨てます。

「弱ェやつだ……」

この一言だけで、男爵については全部語れますね。


6.。引用。

「わしと仲間の絆を偽りなどとはいわせない!」
「夢で、なにが悪い……! ここはオマツリ島だ……この島で起きている出来事は、すべて祭りの夜の夢のようなもの……それが、きさまら海賊には悪夢であっても! わしは仲間を見捨てない! たとえ二度と海に漕ぎ出すことは叶わずとも、この島で、わしは仲間と夢を見続ける……!」

それを言ってくれないと、この映画のタイトルが「オマツリ男爵」となる理由がわかりません。
どの辺が「祭り」なのか、後半見たら誰にもわかんなくなるじゃないですか。
これは男爵にとっての祭りで、そして夢でもある(野望とは違う意味だけど)。
ちょっと弱いけど、これが男爵の〝信念〟だとすれば、ルフィが叩きのめす理由も、その際の爽快感も全く違っていたのでは。そう思ってなりません。



以上。
小説版と比較したら、見えてくるものがかなり違ってきました。
正直、このジャンプJブックスシリーズ*5は、文章的に大人向けとは到底言えません。ジュニアノベルとも言えないでしょう。そもそもが、本来の読者層=小学生向けなんだろうし。
しかし、『ONE PIECE』という原作を踏まえた上で映画と小説を比較すると、軍配を小説のほうに上げてしまった自分は異常なのでしょうか。


無論、小説では語りすぎてる面もあるでしょう。
映画の難解な部分を、小学生にわかりやすいように全部説明してるのだから当然ですが。
しかし、演出っていうのは、脚本で説明できない or 画面で説明したほうが望ましい部分を、きちんとフォローすること。それが一義ではないでしょうか。
一見ワンピースらしくなくても、よくよく見ればツボは抑えている。
画面を良く見ると、疑問に思ったキャラの言動の原因がしっかり描かれている。
……そういう演出に、どれくらい尺を取っていましたか?


相手はプロです。そして自分はファンです。
ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険』で、アニメオリジナルでも原作にここまで肉薄できるのだと証明してくれたからこそ、要求します。
細田監督殿。『どれみと魔女をやめた魔女』『ずっとずっとフレンズ』で見せた、あの神々しいまでの演出をもう一度、『ONE PIECE』で、見せてください。
あの感動を、もう一度、見せてください。


……やっぱり、納得がいきません。このままでは。
どれみファンとしての自分の立場を鑑みたら、その原因は細田守監督だからこそあるのでは、そんな気がしてきました。
細田さんなら、きっと、もっと凄いのを描いてくれる……
ワンピース原作ファンをも唸らせる作品を、創ってくれる……
それだけの技量があると信じて、筆を置きます。いやキーボードだけど。


PS 寝不足状態で描いてるんで舞い上がってるな〜(笑)。でも本心よ。これ。

*1:るろうに剣心』作者で、尾田先生の師匠。現在は週刊少年ジャンプで『武装錬金』を連載中

*2:前述の和月作品『武装錬金』から。

*3:ワンピース単行本恒例の、「(S)質問を(B)募集(S)するぞ」のコーナー。読者のネタを交えた質問に、作者がネタを交えて答える。

*4:そういう名前らしい。

*5:単に連載漫画を文章に直しただけのものも存在する。何の意味があるのそれ。