ふたご姫、よりによって今日、狼=ジャッカルを消すなぁぁ!!!!


最近思うことを垂れ流し。


そりゃ、中身のないものが人気出るのは当たり前なんですよね。
努力なんてメンドクサイ、答えなんて出すのヤだ、何かをまとめ上げるなんてどうでもいい。それが大衆の欲望。
だからカッコいいもの、可愛いものだけを散りばめておけばいい。その場その場で、人気出そうなものだけを創っておけばいい。
故に、SEEDなんちゃらはヒットしたんでしょう。強いものが正義というお粗末な答えは、DVDの売り上げという形で現実化しています。


そして大衆は、退屈な日常を嫌う。
前期響鬼は、鬼たちの日常を描いた。警察官、消防員と同じように、命を懸ける職業でありながらも。それを意識せずに生きる、平凡が故に強い。地道な大人の姿を描いた。
でも、終わりなき日常は退屈だからと、視聴者は無責任にも変化を望んだ。*1
故に、後期響鬼が始まり、桐矢京介が生まれ、ザンキさんは散華した。


平凡より非凡。日常より非日常。
地道な努力は退屈と、人々は突出した才能を求めた。才覚など、誰もが持っているはずないのに。
大切な日常を捨て、一見晴れやかに見える非日常を求める大衆。


そんな世の中に、生まれ出たのが。
「天の道を行き、総てを司る者」なのかも知れない。
才能も努力も、日常も非日常も全部持ってる男。
並みの天才キャラとは"格"の違う彼こそ、迷える大衆に道を示す救世主なのかもしれない。
天の道を行けるのは、選ばれし俺だけだと戒めているのかもしれない。違うかもしれない。違いますか? やっぱりメガネですか?

*1:太鼓祭り辺りで「そろそろ動きがあっても……」とか思ってた自分も、立派な「大衆」かと。でも皆が望んでた変化っていうのは……