プリキュア×プリキュア フレッシュ!&5GoGo! 映画レビュー大戦2010

『映画 Yes!プリキュア5GoGo! お菓子の国のハッピーバースディ♪』。
『映画 フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!?』。
この二つの映画には、ふたりの天使が降臨しました。
《シャイニングドリーム》と《キュアエンジェル》。


しかし、そのふたりの天使の行使した力は、全く逆のものでした。
何故か?
ドリーム側では「キュア」の冠詞が取れ、ピーチ側には「キュア」の冠詞が残ったからだと、自分は考えます。
その差には、《プリキュア》=「悪の魔の手から可愛らしく救出する」の意味が、如実に表れていると。

5GoGo!――お菓子の国。そこに行ったものは、お菓子を食べるために太ることを気にすることもない 編

チョコラ姫の導きでお菓子の国到着後、その強靭な胃腸の力を思う存分発揮して、やたらめったらお菓子を食いまくる主人公たち。
そこでかれんが水を差します。
こんなお菓子食べて、太らないのか、と。


もっと
早く
言えよ!


ヘンな小芝居に、のぞみうららはおろか、りんまで参加し、泣きはらしながらお菓子とお別れする三人。
思わず謝るかれん。この辺にしておこうとこまちが勧めるも、チョコラは言います。


「いくら食べても太らない」と。
「おいしいという幸せだけが残る」と。


何だって!? それは本当かい!?
何という危険な世界だ、おのれディケイドォ!(←関係ありません)
こんな国に柊かがみ(『らき☆すた』)やヒロさん(『ひだまりスケッチ』)連れてきてみろ、ずっと帰ってこないぞ!? ……こなたたちに呼び出されるか、沙英さんの夜食の時間になるまで。
ああそうそう、坂田銀時さん(『銀魂』)にも移住をお勧めします。糖尿病になる前に。ただで食べられるし。



……まぁ、皆さんお気づきでしょう。
さらりとトンでもないこと言いました、このお姫様。


太るというのは、摂取カロリーが消費カロリーを上回り、余ったカロリーが体脂肪になることです。
しかし、この国のお菓子は、どれだけ摂取しても0カロリー。
一切栄養にならないのです。血や肉にならないのです。
この、お菓子の名を冠する国は。全てがお菓子で作られた、お菓子のために存在する国は。
第三次産業、それもサービス業しか為されていないのですよ。


言うなれば、「お菓子の国」には娯楽しか存在しません。
誤解を恐れずに断言するなら、娯楽というものは「存在しなくても生きていける」ものです。
例えば今、このブログの長たらしい文章を読まなくたって、人は生きていけます。その時間を労働とか学業とか、現在ないし将来金銭的な利益をもたらすもののために費やしたほうが、よっぽど有意義でしょう。
でも自分がこのブログを、ひいては同人で何かを書いているのは。その表現したものが僅かながらでも何らかの発見を、ほんのちょっとでも何らかの感動を生むものだと信じるが故。それが、何らかの幸せを残すと信じるが故です。
けど、我が国では労働等の義務を払わずして、娯楽という余裕を味わうことは出来ません(※本来は)。


さて、この「お菓子の国」はどうでしょう?
普通のお菓子が存在しなくても、人は生きていける――そうは言いません。誰だってただ生きていくのは辛い、だから享楽が必要になる。
しかし、それには常にリスクが伴います。本ばっかり読んで時間をつぶしては何も出来ないし、野菜もちゃんと食べなければ体を壊す。
お菓子ばかり食べていたら、人は「太る」という犠牲を払うのです。


人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要になる。
それが、錬金術における等価交換の原則だ。
その頃シロップとダークレモネード(CV朴&釘宮的な意味で)は、それが世界の真実だと信じていた。


けれど、この異世界は、我々人間の住む世界とは異なる常世界法則で動いています。


その犠牲が存在しない――
「お菓子」という享楽のみ存在し、払うべき代価は全く存在しない。
それが、お菓子の国なのです。


賢者の石。
それを手にしたものは、等価交換の原則から解放され、何かを得るために代価を必要とすることもない。
シロップとダークレモネード(CV朴&釘宮的な意味で)はそれを求め、手に入れた。


そう、賢者の石は、お菓子の国にあったんだよニーサン!
……プリキュア世界じゃ、どちらかと言えばプリズムストーンのほうが賢者の石に近いと思うけど。

フレッシュ!――おもちゃの国。そこは、役割を終えた者たちが集まる姥捨て山 編

一方のフレッシュ組が旅立った異世界は、おもちゃの国。
国である以上王族がいるはずなんですが、そこにいたのは住人から恐れられる悪者・トイマジン。
正義の味方として人々に認知されているフレッシュ組は、(自分たちの住む)世界中からおもちゃが消えてしまう事件を解決するために、おもちゃの国へと旅立ったのです。
ラブが子供の頃大切にしていたぬいぐるみ、ウサピョンの導きで。


……この時点で、以前のプリキュア映画とは一線を画しています。
今までのプリキュア映画では、危機に陥った異世界から現れた異世界人に救いを請われたり誘われたりして、最終的には「助っ人」として異世界で戦うのがお約束でした。
勿論、その異世界の危機が、主人公たちの住む世界の危機にも直結していたわけですが、それでも異世界を助ける理由は主に「頼まれたから」。敢えて容赦ない言葉を使うなら、ヒトゴトです。
しかし今回は、主人公・桃園ラブの押し入れから出てきた人形ウサピョンが、異世界への導き手。
この違いが、物語の結末に大きな差異を及ぼしたと、自分は考えます。

5GoGo!――ヒロインのキスシーン? そんなことはどうでもいい! 編

お菓子の国に現れた侵略者・ムシバーン。どんなお菓子を食べても満足しない男。
その子供番組らしい名前とは裏腹に、女王=チョコラの母やココを操り、プリキュア5を分断させ排除しようとした、中々の策士です。流石はCV大塚さん。
しかし今日は、夢原のぞみの誕生日。一緒にケーキを食べるために奮起したプリキュア5は、敵たちを圧倒していきます。のぞみもまたココを救い出し*1ミルキィローズもラスボスとほぼ互角の格闘能力を見せ第一形態を撃破します。
……っていうか、ローズの活躍シーンはここだけです。スーパー戦隊映画でよくある、六番目の戦士の出番の少なさを踏襲したのでしょうか。のぞみがどうやってココの精神支配を解いたかも知らずに……チョコラの様子のおかしさに気づき、けなげに独りでラスボス相手にして……よくやったよミルク。


そして玉座の前で全員集合。
支配の解けた女王は言います、たくさんのお菓子を贈ったのに、あなたにはそれを受け止める心がなかった! と。
この時点で、ある意味物語は終わっています。だって答え言っちゃったもん、女王が。
そうだったのか、とムシバーンが頭を垂れていれば、何事もなく事件解決、のはずだった。
しかしムシバーンは激怒。ココの精神支配を解かれ「まして愛など!」と憤怒しながら女王にかしずいたりしてたし、彼も半分くらいは自覚してるんじゃないかと思います。自分が本当に求めていたものを。
お菓子の国のお菓子は「美味しい」としか思えない、栄養にならないもの。だからこそ、楽しく食べようとしなければ味など分かるはずがないし、血や肉にもならない。
それなのに最後まで、ムシバーンはその哀しき怒りを止めることはなかった。こんな国など滅ぼしてやると。お菓子が不味いから世界を滅ぼす悪役なんて初めて見た。*2
こうなれば戦うしかない。この国を八つ当たりで滅ぼされるわけにはいかない。


でも本当は……のぞみたちは、気づいていたのではないだろうか?
デスパライアのように、ムシバーンにも、「心」が芽生え始めた、元から持っていたのではないかと――

フレッシュ!――プリキュアとしての戦い、桃園ラブとしての戦い 編

おもちゃの国のトイマジン。おもちゃをすぐに捨ててしまう子供たちに復讐せんと、(人間の)世界中からおもちゃを奪い取った悪人。
前哨戦を終え、遂にラスボスに対峙したフレッシュ勢。
トイマジン曰く、おもちゃの国は子供に捨てられた哀しいおもちゃたちが住む国。トイマジンの体は、その捨てられたおもちゃが集まって出来ている*3
そして、キュアピーチは気づいてしまった。その中には、先んじてトイマジンを説得せんとしたウサピョンの姿もあったことに――


ベリー、パイン、パッションが個別必殺技を放つ中、戦う意思をなくしてしまったピーチ。
技を食らいながら律義に待ってくれているトイマジンをよそに、ピーチは思う。ウサピョンをクローゼットにしまったまま、ずっと忘れていた自分も同罪だと。自分を責め、すっかり戦意喪失してしまったのだ。
そこでベリーはピーチをビンタ付きで叱咤した。正義の味方として、おもちゃを取り戻すため、戦わなければならない、それがプリキュアだと。
一念発起し、個別必殺技→4人合体最強技を放つ一同。律義に全ての技を受け止めるトイマジン。
しかし、それでもトイマジンは倒れない。恨みを持ったおもちゃがさらに集まって、巨大になっていく――それはまさに、逆ミラクルライト。

マドカ・ダイゴ《ウルトラマンティガ
「どんな絶望の中でも、人の心から、光が消え去ることはない!」


(映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』より)

だが、希望と絶望、光と闇は表裏一体。
どんな希望の中でも、おもちゃの心から、怨恨が消え去ることはない!


そんな中、キュアピーチは決断した。
もう一度、ウサピョンに心の底から謝ろうと。桃園ラブとして――

5GoGo!――プリベンターの告死天使《ウイングガンダムゼロカスタム》 編

ムシバーンとの最終決戦。
チョコラと共に、決戦の地へと向かうプリキュア5。ちなみにミルクは力尽きてお留守番、残念。
「事ここに至れば言葉は不要」と、圧倒的な力を見せるムシバーン。
そしてチョコラをかばって倒れるドリーム。しかし、チョコラは言う。希望は決してなくならないと。


ドリームに力を与えるために、ミラクルライトをかざすチョコラ。そしておもちゃの国の人々。
この国を救ってくれる希望――「ドリーム!」と、その名前を叫びながら。
だが、自分は思う。おもちゃの国の人々は、どれだけムシバーンの事情を知っていただろうか。何も知らないはずだ。
ココ、ナッツ、ミルク、シロップ、チョコラ、女王は、ムシバーンの哀しみを直に目撃した。
しかし、おもちゃの国の人々は何も知らない。何も知らないまま、侵略者を撃退してくれることを望んだのだ。
そして、それは劇場でミラクルライトを振っていた女児たちも同じはずだ。あの場でムシバーンの哀しき心に気づけたのは、真剣に見てくれている親御さん、そして本来その場に来るべきではない大きなお友達


何も知らないまま、悪役が倒されることを望む、おもちゃの国の人々と、劇場の子供たち。
だが、ドリームは知っていたはずだ。気づけたはずだ。ムシバーンの心を。
何故なら、それが夢原のぞみだから。
しかし、そののぞみに力を与えるのは、侵略者の排除を望む、悪役の最期を望む、ミラクルライトの光――


こうして、《シャイニングドリーム》は誕生した。
スーパープリキュアではない。シャイニングガンダムシャイニングキュアドリームでもない。
想いを咲かせる奇跡の光《シャイニングドリーム》。
そして、みんなの願いを受けて輝く《スターライト・フルーレ》。
しかし、その「想い」「願い」の内実は――


一年後の映画で、キュアベリーは言った。今のあなたは桃園ラブじゃない、キュアピーチだと。
そして、この時の彼女も夢原のぞみではない、《シャイニングドリーム》だった。
プリキュア・スターライト・ソリューション》――5つの光*4が飛びだし、無数の閃光になってムシバーンを貫く。
破壊者を葬るという、ある種純粋で、ある意味残酷な願いを。

フレッシュ!――Nobody’s Perfect それだけが命の証 編

ウサピョンを探し、トイマジンの巨体を駆け登るキュアピーチ
途中でリンクルンを落とし、変身が解けても、彼女は走ることをやめない。
何故なら、これはヒトゴトではない、自分の問題だからだ。
これまでのプリキュア映画は、半ば巻き込まれる形で事件に巻き込まれることが多かった。
だが、今回は違う。桃園ラブ自身もまた、この事件の当事者なのだ。
だからこそ、キュアピーチではなく、桃園ラブとして立ち向かわなければならなかった。自分自身の罪と。


ラブの流した涙に、ウサピョンは応える。
ラブが子供の頃、自分を捨てようとした母をちゃんと止めてくれた思い出を。自分は捨てられてなどいないと――

傷ついたその腕に
なにを抱いてる
打たれた頬を
拭うように笑い


苦しみは優しさを
死なせやしない
弱さを知れば
人は強くなれる


さぁおまえの罪を数え
魂に踏みとどまれ
愛する者を守るために
立ち向かえばいい
立ち向かって行けばいい


(『仮面ライダーダブル』挿入歌「Nobody’s Perfect / 鳴海荘吉」より)

しかし。
「でも僕は捨てられた!」「私も!」と、他のおもちゃたちは悲痛に叫ぶ。
ウサピョンだけが救われても意味はない。傷ついたおもちゃたちは、無数にいるのだ。


だからこそ、キュアピーチではない桃園ラブや、ウサピョンは訴えたのだ。
おもちゃを愛する心を持っている人はいっぱいいると、その心を伝えてと。
劇場の子供たちに呼びかけたのだ。プリキュアとしてではなく、桃園ラブとして。
例年通り「プリキュアに力を!」ではなく、トイマジンたちに「そんなことない!」という想いを伝えるために。


そして、シフォンが生んだ新たなるピックルンと、ミラクルハートライトの力で、《キュアエンジェル》が誕生した。
そこに込められた思いは、おもちゃをずっと大切にするという、純粋な願い。
キュアエンジェル――《癒しの天使》は、その願いを束ね、《プリキュア・ラビング・トゥルーハート》を放つ。
おもちゃたちの心は癒され、トイマジンも元の姿に戻った。小さなテディベアに。

5GoGo!――そして少女は、一つずつ歳を重ね大人になっていく 編

一方、ムシバーンは漢らしく散っていく。
みんなで分けて食べれば、もっと美味しいよ――という、のぞみの言葉を理解して。


もしこの時夢原のぞみが、一年後の桃園ラブのように、戦うことをためらってしまったらどうなっていただろう?
否――ためらうことなど許されなかった。奇跡の光《シャイニングドリーム》は、想いを咲かせなければならないのだから。
そもそも、あそこでムシバーンを倒さなければ、お菓子の国は滅んでいただろう。彼女の決断を否定することは、誰も出来ない。
何より彼女は、最後まで目を見開き、ムシバーンの最期を切なそうに見送ったから。

正義と justice のあいだには、大きな溝が横たわっている。
正義の女神ジャスティスは、目隠しをしている。
予断を禁じ、公平な裁決をくだすためだが、けれどもその目隠しは、同時に、彼女自身の隠れみのにもなる。
彼女は、人を平気で天秤に乗せ、平気で剣をふりおろすことができる。彼女は自分の剣が、どんな人の命を奪うことになるのか見ないままでいられる。剣をふりおろす以外の選択肢がないのがどうか、自分が剣をふるう資格を本当に持っているのかどうか、考えないままでいられる。
しかし、わが国の<正義>の女神は、目隠しをしない。
彼女は、だれを天秤に乗せ、だれに対して剣をふるわなければならないのか、その目をしっかり開いて、一部始終を見届けなければならない――そうする自分自身の顔を、世間に対してさらしものにしながら。
わたしたち自身が<正義>でありうるかどうかを、正義という言葉自体が問いかけている。


白倉伸一郎『ヒーローと正義』第6章 正義とジャスティス より引用

この時夢原のぞみは、目隠しをせず。
自分が「正義」であると判断し、仲間たちに対し自分自身の顔をさらしながら、一部始終を見届けたのだ。


こうして、彼女はまた一つ大人になった。
夢原のぞみが生まれた日に。一つ歳を重ねた日に。望まぬとも決断を下さねばならない大人の覚悟を身につけたのだ。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。手を汚さなければ、守れない平和がある。
だからこそ、彼女は《シャイニングドリーム》になったのだ。プリキュア=可愛らしく救出する存在ではない、悪の魔の手を斬り裂く奇跡の光に。


ある意味で、これは前作に続く、「夢原のぞみ第二の敗北」かもしれません。
戦うことでしか、お菓子の国を守れなかった。デスパライアのように、ムシバーンと心を交わすことは最期にしか出来なかった。

張五飛《アルトロンガンダム(カスタム)》
「俺はリリーナ・ピースクラフトを認めない! 兵器を捨て、兵士を封印すれば、それが平和だという考えは、間違っている!」


ヒイロ・ユイウイングガンダムゼロ(カスタム)》
「だからマリーメイアの独裁を許すというのか?」


五飛
「それが戦う者の魂の拠り所となる!」


ヒイロ
「今はそれでいいかもしれない……だが、マリーメイアは歴史を繰り返すだけだ! 悲しく惨めな戦争の歴史をな……!
 ここで流れを食い止めなければ、また俺たちと同じような兵士が必要となってくる……そうなれば、悲劇という名の歴史がいつまでも続く……
 五飛、教えてくれ……俺たちはあと何人殺せばいい?」


五飛
「……?」


ヒイロ
「……俺はあと何回、あの子とあの子犬を殺せばいいんだ……
 ゼロは俺に何も言ってはくれない……教えてくれ、五飛……!」


五飛
「……あれが、また、繰り返されるというのか……」


(『新機動戦記ガンダムW 〜Endless Waltz』より)

夢原のぞみは、あと何人倒せばいい?
……彼女はあと何回、ダークドリームやムシバーンを死なせればいい?
あのピンクの蝶は、フローラは何も言ってくれない。
教えてくれ、プリキュアはあと何回、心を持った悪役を倒せばいい……?

フレッシュ!――受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。これらは決して止めることができない 編

そして、夢原のぞみの意志は、後輩プリキュアに当たる桃園ラブに受け継がれた。
キュアエンジェルという新たなプリキュアとなって、可愛らしく救出したのだ。悪の魔の手をも。
その後、あのテディベアはフリーマーケットで幸せをゲットし、『プリキュアオールスターズDX2』でもその幸せな姿を見せていた。
悲しく惨めな戦いの歴史の連鎖が、一つ消えたのだ――


美希は本編中、プリキュアである以上戦わなければと言っていた。
けれども、どうやらラブの中では、キュアピーチ桃園ラブも同じ存在のようだ。
かつてS☆Sの主人公が、「プリキュアである前に日向咲」と、霧生満&薫=友達とは戦えないと意思表示したように。
ラブもまた、キュアピーチ、キュアエンジェルの力に頼ることなく。自分自身の手で慣れない裁縫をし、ウサピョンの修繕を行っていた、とこの映画の最後に示されたのが、その証拠。
彼女にとってプリキュアに変身することは、問題解決の一手段に過ぎない。何せ本編1話ではキュアピーチになる前から、ステージに現れたナケワメーケに立ち向かっていったのだから。
たとえ変身アイテムがあろうとなかろうと、プリキュア=可愛らしく救出することは出来るのだ。桃園ラブが、桃園ラブである限り。



――だが、全ての者の幸せを望む桃園ラブもまた、本編最終決戦で敗北を喫している。
ノーザの正体は球根で、クラインの正体はトカゲ。メビウスの正体も管理プログラムだった。
……キュアエンジェルになることで、おもちゃを救うことは出来たのに。ウエスター、サウラーとも分かり合えたのに。
球根(=ノーザ)やトカゲ(=クライン)、コンピュータ(=メビウス)を救うことは出来なかったのだ。
メビウスの幸せは何か? と問うキュアエンジェル(ピーチ)に、メビウスは答えた。自分の幸せはお前たちの排除だと言い切り、自爆プログラムを起動したのだ。

メビウス
「ふはははは これがわたしの最終プログラムだ!!」


キュアエンジェル(ピーチ)
メビウス……」


メビウス
プリキュアよわたしと共に消滅するのだぁぁ――っっ」


講談社MOOK『ハートキャッチプリキュア! & フレッシュプリキュア! おはなしブック!』最終話フレッシュプリキュア(著・上北ふたご)より引用

TV本編では描写されなかった、キュアエンジェル=ラブの哀しき表情――
おはなしブックをお持ちでない方は、是非読んで見てください。全てを救うことは叶わない、と知った、彼女の痛みを。

そして時代は、新たなプリキュアを次々と望み続ける――

2004年より放映開始されたプリキュアシリーズは、今やすっかりニチアサの顔になり。
仮面ライダースーパー戦隊と肩を並べる程の人気を博しています。


2010年1月にフレッシュプリキュア!も終了し、現在ハートキャッチプリキュア!が大絶賛放送中です。
果たして彼女たちは、何かを、どれだけ、救うことが出来るのでしょうか?
我々は見届けなければならないでしょう。不要な犠牲、哀しき結末の連鎖に、彼女たちがどこまで抗えるか。


幸せは犠牲なしに得ることはできないのか? 時代は不幸なしに越えることができないのか?

本当の世界は不完全で、その全てを説明できる原則など存在していなかった。
等価交換の原則も。


それでも僕らは信じている。
人は代価無しに何も得ることはできない。
僕らが受けた痛みは、きっと何かを得るための代価だったはずだ。
そして人は誰でも代価を払うことで、必ず何かを得ることができると。


等価交換は世界の原則じゃない。
僕と兄さんの約束だ。


(第一期アニメ版『鋼の錬金術師』最終回より)

どうか彼女たちの希望が、幸せが、一人でも多くのものに伝わりますように――





長文乱文失礼しました。

*1:ここで一カ月前に公開された『さらば電王』で、モモタロスが命がけで良太郎を救い出したシーンを思い出したのは自分だけじゃないはずだ。「戻ってこい良太郎!」「先輩!」「モモの字!」「モモタロス!」「モモちゃーん!」――俺、クライマックス!

*2:ここで、カレーが辛いからライブ帰ったYOSHIKIを思い出したのは自分だけ……ですね絶対。でも両方とも本当の原因は字面の奥にあってね……

*3:数ヵ月後、『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』を見て自分は思った。《百体怪獣ベリュドラ》も同じだと。怪獣墓場にいる怪獣たちは、ウルトラマンへの恨みなど捨て静かに眠りたいものもいた、そいつらまで無理矢理合体させて誕生したのがベリュドラなんです。

*4:ある意味、電王のクライマックスフォームや、俺の必殺技ファイナルバージョンに近い?