矢田10周年


今日は
矢田まさる登場
10周年なんです。


今からちょうど10年前の今日、
おジャ魔女どれみ』第17話「矢田くんは不良小学生!?」が放送され、
初めて矢田が喋ったんです。



……あー、なのに新刊作業に追われて何も出来ないぃぃ……
明日のぷにケット19ですが、もうすぐ出勤なんで簡単なプレビュー本しか出来ないと思います。
といっても前編でブッた切るんじゃなくて、小説形式をは違った形で。一冊の本で楽しめるようなものが出来ればいいな……
ただの妄想垂れ流し本になる可能性大ですが、それはある種いつもと同じ。


あ、でも↑の矢田10周年記念本・ほぼ全台詞集は再版して持ってきますんで。
GWのどれみイベントで在庫切れして、手に入れられなかったかた、申し訳ありませんでした。



果てさて。
ぷにケが終わったら、サイト&ブログ活動を復活させないと。
シンケン&ディケイド&フレッシュの感想も溜めちゃってますし。


あと『プリキュアの正義』完全版も、いい加減書き上げてUPせねばばば。
どれみイベントに、無料配布な同人誌版持ち込んだら、今でも手に取っていただけるかたがいらっしゃいますし。
何としてでも、あれは決着付けたい。そのためにサイト再始動したようなものだし。


……プリキュアオールスターDXのサントラの解説で、腹巻猫(劇伴倶楽部)さんがこう書いてます。
このかた、戦隊のCDでも解説書いてらっしゃってて、いつも楽しく読んでるんですが、それでも異を唱えたいのです。
曰く、プリキュアは「友情も恋もあきらめない」と。
「戦闘中心のヒーロー番組では、正義や平和のために個人を犠牲にする姿が描かれることが常でした。」
しかし、「プリキュアの世界を脅かす敵はさまざまですが、少女たちは敵に立ち向かうために友情や恋やおいしいものを犠牲にすることはしません。変身していても友を想い、恋のゆくえを心配し、食べかけたごちそうのことを気にかける。彼女たちは、世界を守ることと同じくらい、友情も恋もおいしいもの(!)も大切にしているのです。」
プリキュアが大人たちの心をもとらえるのは、「私たちの世界とつながった、等身大の物語とメッセージを内包している」からだと。


待った! 異議あり
……入澤キリヤは? 満薫は? ダークドリームは?
友情も恋もおいしいものも一緒に共有し、それでも引き裂かれ、それが今生の別れになってしまったことすらある、大切な友達のことは?
確かに彼女たちは、友情も恋もおいしいものも犠牲になんてしていない。日常を犠牲にはしていない。
犠牲になるのは、いつだって「あちら側」。〈わたしたち〉の日常、秩序に反する渾沌たる〈あいつら〉。


幸せは犠牲無しに得ることは出来ないのか?
時代は不幸無しには越えることは出来ないのか?
――OVAジャイアント・ロボのメインテーマであるこれは、きっとプリキュアにも当てはまります。
華やかな舞台では光り輝くものだけが姿を現わし、その陰で犠牲になったものは顧みられることもない。
それでも呉先生は、「そう真実は流れてしまってもいい、人知れぬ涙と共に」と、これも時代の進歩のためと受け入れます。
だが、幻夜は叫ぶのです、「でも父さんはもう戻ってこない!」と。
「真実に目をつむった人間、繁栄に浮かれて何も知ろうとしない人間、全て同罪だ」と――


そう。
もう入澤キリヤは、ダークドリームは戻ってこない!
事実あの映画では、プリキュアオールスターズDXでは、満薫がモブキャラとして登場するだけだったじゃないか!


誰も忘れてはならない。
あの七夕の夜、雪城ほのかが一晩中流した涙を。
自分たち以外の全ての人間が、満薫の記憶を失ってしまい、呆然とした咲舞の姿を。
ダークドリームを守れなかったキュアドリームの咆哮を。
メイン視聴者の子供はいちいち覚えてなんかいない、理解出来っこないというなら、自分たち大人の視聴者が覚えていなければならない。あの犠牲を。
そしてその意義を問い続けねばならないのだ、答えを出すことが出来なくとも、永遠に。
真実とは問いかけることにこそ、その意味もあれば価値もあるのだから。


……てな感じの、タガの外れた調子で。5GoGo!までの5年間を総括できたらな、と思います。