電王&プリキュア5最終回について雑感。

一応手短に。短くないけど。


設定こそ穴がなくはなかった電王が、それでもあのハッピーエンドに拍手できたのは、「キャラクターを積み重ねていた」から。
モモウラキンリュウもデネブも*1、皆が皆のまま、キャラにブレがなく日々を過ごしていたからこそ、その記憶が支えとなって消えることがなかった。
過去の積み重ねを否定したカイが消えたのも当然。正体なんてなかったんでしょう、文字通りの「何もない」純粋な悪だから。


一方のプリキュア5も、5人に関しては文句なく「キャラクターを積み重ねていた」。
問題は敵側の積み重ねと、5人の積み重ねが交差してなかったこと。
5人はカワリーノの手により、ハデーニャが無理矢理仮面をつけさせられたのを見ているはず。ブンビーも最後の最後で、カワリーノに反論して見せた。でも、それだけで何も発展しない。
使い捨てられたギリンマ、アラクネア、ガマオたちの哀しみとは全く関係ないところで、ラスボスと「だけ」和解されても、困る。
そこをクリアしてくれれば、本当の意味でプリキュア5は新しいものを切り開けた。そう思ったんですが……
あ、でも、のぞみの夢が教師ってのはアリかと。王になって国を復興させなきゃいけないココの、小々田先生としての夢を継いだ、ってことで。教師を辞めざるを得なかったウルトラマン80=矢的先生の教えを受け継いだ、塚本先生みたいに(by メビウス41話)。


ゲキは明日が最終回ですが、この流れで行くと。
理央&メレは「キャラクターを積み重ねていた」、けどゲキレンジャー側が……とか言ってしまいそうだ。


ようやく7人での名乗りを果たすも、敵役の贖罪まで逃げずにスポットを当てた『ゲキレンジャー』。
1話でイマジン=モモタロスが仲間になり、最初から最後までクライマックスに敵側との共闘とジレンマが描かれた『電王』。
キリヤ、満&薫、ダークドリームとの邂逅を経て、遂にはシリーズで初めて「ラスボスとの和解」を見せた『プリキュア5』。
こう見ると、3作品とも「敵側との関わり」って共通点があったのかなー、とか思います。

*1:「何故私の名を挙げんのだ?」……いやだってジーク、てれびくん全プレDVD含めても4話しか積み重ねなかったし。まぁ教養の差でOKかな。