うッ……持病の「何考えても響鬼に行き着く病」が
新生ドラ見てると、「今の子供って、恐竜とかに興味持てたりするのかなぁ」と心配になる。
響鬼騒動でよく聞く意見が、「子供向けの振りした大人向け特撮を創っただけであり、真に子供向けではなかった」と。
大人が勝手に騒いでるだけ、と。
そう考えると、「のび太の恐竜2006」も、単なる大人の自己満足なのだろうか?
自分が子供の頃好きだったものを、子供に押し付けてるだけなのだろうか?
けど。
その「子供」って、どの世代のことを言ってるのだろう?
玩具を買ってくれる世代にしかアピールできない、"商品"としての子供番組。
でも、それだけを子供に与えては不健全だ。
世間にプログラムピクチャーが溢れるのを恐れ、前スタッフは"作品"としての子供番組を創ったのではないか。
無論、その変化は多分に極端だったのだろうし。
こういった、諸反論にも、目を通したけれど。
それでも自分が前響鬼を支持*1するのは、前スタッフが「挑戦」していたからだと思う。
勿論白倉・井上体制も挑戦してます。555なんてそうでしょう、でも今の響鬼は同じこと繰り返してるだけじゃあ?*2
クウガ見てないから、何とも言えないんだけど。
高寺成紀プロデューサーって、「風雲児」だったんじゃないかって。
新しいものを切り拓く人間は、どうしたって多くの障害にブチあたるもの。
だからこそ、その志を評価した上で、もっと高みを目指せるように批評を行うのが筋だと思うのだけれど、けれどけれど。
先日、『まだまだあぶない刑事』を見に行った、ってのは前述しましたが。
シナリオ的に問題があったとか、アップになるとやっぱり老けたって思えちゃうとか、『踊る大捜査線』を経た今の現状で破天荒な刑事を描くのはとか。
そういった諸反論は自分でも思いつくけど、感情的に全部スルーしてしまう自分です。
理由。「そこに、タカやユージやトオルも薫も、皆生きていてくれた」から。
年もとった、出世もしたけれど、結局何も変わらないでいてくれたから。
ラストのタカ、ユージ、トオルのやり取りは間違いなく「あの3人」のものであったし、劣化するどころか渋みまで加わってる。
以上、「あぶ刑事ファン」*3としての意見です。
信者とでもいくらでも呼ぶがよい、この件に関しては認める!(笑)
何せ自分の頭の中では、ヒビキさん、いやさザンキさんですら、タカとユージの渋さにはずぇったい敵わないと結論出てますから。ええ。多分魔化魍にも勝てるさ、ダンディ鷹山&セクシー大下なら!(←それはどうか)
そりゃ、20年近いあぶ刑事の歴史には、どうやったって及ぶわけないけど。
それと近いものを、あの半年で創ったとは考えられませんか。
何故、これだけ旧響鬼ファンが、新響鬼を嘆くのだろう?
立場を変えれば、それは冷静な判断を下せてないってことになるかもしれません。
でも、自分はこう考えます。
平静さを失わせるほどの魅力が、旧響鬼にあったんだ、と。
極端な例では、キン肉マン。悪魔将軍初登場シーンで、ジェロニモが二人いる! とか、ファンでも笑える矛盾が、いっぱい指摘されてますが。
でも、ロビンマスクの最期「真剣勝負にそんなもの関係ないわー!」*4ってシーンの輝きは、全く損なわれることなく胸の中に宿ってますよね?
矛盾も問題点も。それを飲み込んだ先にあるものの価値。それを、自分は忘れたくない。
根底に流れるのは「感情」。
もちろん、感情ができるだけ正しいほうに向かうよう、感性を研ぎ澄ませる努力は必要だけど。
この辺が論理的に正しくないから認めない、ってのだけは避けたい。
感情が流れるから、論理が創られる。むしろその感情を大切にしたいから、論理を組み立てる。
やっぱり、それが自分の理想なんだと思った。
新響鬼も、しっかり見届けていきたいです。